スコトーマについて

こんにちは!
考察も好きなココロです。

このページでは 「スコトーマ」 について自身の理解を深めるために、 またどなたかの参考になれば嬉しいなと思いまして楽心目録を書いている中で調べた事柄をざっくりとアウトプットしたココロなりのまとめです。

私なりの結論としましては、

「スコトーマとは1つの事柄や情報などに対してAという情報とそれ以外の情報の2つ、また複数の見方やとらえ方なども 「同時に」 発生している状態で、例えば一方のAという情報しか認識できていない状態」

だと結論づけました。
名言風に表現してみたりします。

「スコトーマとは1と0の織り成す認識世界で0側の情報を認識できないことだ」

です。

結論に至った詳細は以下に書かせていただきます。
参考になれば幸いです。

※ 本ページはプロモーションを
  含んでいます

スコトーマとは

古くはギリシャ語で 「盲点」 を意味するそうで眼科医が目の構造上における認識不可能な暗点(網膜に存在する画像の映らない部分)のことを表現する際に使われた用語の心理的盲点(ある分野では認知的盲点)のことです。私も敬愛している博士の1人、苫米地英人博士の著書などから心理的な作用も関係する意味も含めて 「スコトーマ=心理的盲点」 という認識も広まったみたいです。

「盲点」 は英語で 「scotoma」
暗点、盲点を意味します。

フランス語では 「angle mort」

・ angle=角度

・ mort=死

angle mort=盲点

車のサイドミラーで確認できない死角を表現する際に使われます。

左目を閉じて右目で左の 「☆」 マークを見てもらいながら画面に近づいてみたり遠のいてみてください。 右の 「★」 は視界から消えます。

反対の目も同じ要領で、

右目を閉じて左目で右の 「★」 マークを見てもらいながら画面に近づいてみたり遠のいてみてください。 左の 「☆」 は視界から消えます。

(目の構造上における認識不可能としている暗点。網膜に存在する画像の映らない部分)

視覚機能だけでなく、このスコトーマは心理的・脳科学的に私たちの誰しも必ずもっているとされていて 「認識しているはず」 であるのに 「認識していない」 ということが起こります。

これを抽象的且つ端的に表している(と個人的に強く思う)
「トリックアート」 ですと、

出典1:
https://www.sandrodelprete.com/home.php/home/

出典2: https://www.sandrodelprete.com/home.php/catalog/product/gallery/id/175/image/568/

こういった要素を含むのがスコトーマだと考えます。この絵には2つの絵が描かれています。どんな絵が浮かんだでしょうか?
(下の画像にヒント?)

なんでもこの絵を子供たちに見せて質問してみるとほとんどの子供は 「〇〇〇」 と答えるそうです。 子供たちにはそもそも男女の愛といった認識がないからだそうで…(汗)

この作品はスイスのアーティストであるサンドロ・デル・プレテ(Sandro Del Prete)さんの作品で絵の上にはあるフランス語が添えられています。そのフランス語は日本語で “〇〇〇たちからの愛のメッセージ” となるそうです。 (一応〇〇〇とふせます)

絵だけでなくメッセージにも陰と陽の詩的な感性を含んでいるといいますか、神秘的というか…。 芸術としてもすごく素敵だと思います。男女の愛に隠れているものはなんでしょうか。また、隠れたもので浮かび上がるものはなんでしょうか。 この絵はスコトーマの大きな要素を示すのに最適な作品だと強く感じます。

プロのマジシャンはこの心理的盲点を巧みに利用してマジックを演出するみたいですね。

次にスコトーマの発生する原因についてまとめてみます。

スコトーマの発生する原因

「この情報は重要」

「この情報は重要ではない」

という2点が主たる原因です。

これはつまり、

「関心がある」

「関心がない」

というシンプルなポイントになってくるような気もします。愛の反対は 「無関心」 であることと何か繋がるのでしょうか。 その他のスコトーマの原因として、

・ そもそもの知識がない

・ 自分の信念や思い込み

・ 過去の強い固定観念

などの原因もあると言われていて、RASの働きによる制御も働いているとのことでした。

スコトーマを例として考えますと、 ある円状の場所に12軒のお店があって3時の方向、6時の方向、9時の方向に3つの専門店があるとします。

  •                
  • ・ ビリヤード店
  •                
  • ・ スポーツ自転車店
  •                
  • ・ 音楽スタジオ店
  •                
  • ・ その他9つのお店
  •                

Aさんはビリヤードが趣味。
ビリヤード以外は何にも関心はなく、知らなくて興味もない人。 おそらくAさんにはその場所に行って見えるのはビリヤード店で、その他の11のお店は 「見えているけど見えてない」 でしょう。

Bさんはスポーツ自転車が趣味。 スポーツ自転車以外は何にも関心はなく、知らなくて興味もない人。 おそらくBさんにはその場所に行って見えるのはスポーツ自転車店で、その他の11のお店は 「見えているけど見えてない」 でしょう。

Cさんはバンドマン。
音楽以外は何にも関心はなく、知らなくて興味もない人。 おそらくCさんにはその場所に行って見えるのは音楽スタジオ店で、その他の11のお店は 「見えているけど見えてない」 でしょう。

ざっくりと極端に考えるならこんな感じです。

私の場合は 「あの〇〇店は買い物にいった場所にあったでしょ?!」 と言われても 「え、あったっけ?」 ってよくなります…。 思いっきり見えてないこともあります(汗)

「ブルータス、お前もか」

で知られる哲学者カエサルの、
「人間は見たい物しか見ない」 という言葉はこのスコトーマの本質をはっきりと表現しているのではないかと感じます。

あるいは占いに関心のある人で 「今日のラッキーカラーは赤色です」 という占いを聞くと赤色を目にすることは多くなるのではないでしょうか。

逆に、

「青色と黄色はいくつあった?」

なんて訊かれると、

「え? あったっけ?」

とほぼ 「見えていない」 かもしれません。 この場合、 「青色と黄色」 はスコトーマですね。 占いに関心のない人だったら赤色を意識することもなく、結果として赤色を目にする機会も少なくなるはずです。

恋は盲目とよく言われますけど同じく一種のスコトーマは発生していると言えそうです。好きだからこそ好きな人の素敵なところは認識できても、逆にそうでない部分などは意図的に、あるいは無意識的にスルーしてしまうことは多そうです。

冷静な周りの目から見たら 「あの人のこういうところはどうかと思う」 という部分も、 「見ているはず」 なのに 「欠点は誰でもある」 と自分の中では問題視されない。

よく長所を伸ばすと短所はそれに隠れると言われることも想いを寄せている相手であればあるほど、自然と長所ばかりに目がいってしまって短所は隠れてしまうのかもしれません。

また、昨日 食べたお昼ご飯をすぐに思い出せるでしょうか。 お昼ごはんです。ほぼ確実に目にしているはずなのに 「あれ?なんだったっけ?」 って記憶に無かったりしませんか? 見えているはずなのに、見えてない。 (短期・長期記憶に残る情報として認識できていない)

もしこれがダイエットに取り組んでおられる方や料理家、 栄養士の方でしたら食事に関心はあることでしょうし 「重要な情報」 として覚えておられる可能性は高いと思います。

カフェで誰かとお茶していても自分にとって関係のない話や音などがほとんどなので、対面者との会話に集中できますし雑誌や新聞などを読んでいても興味のない箇所は読まない(流し読み)と思います。流し読みしている時は見ているだけで楽ですからこれもスコトーマの一種だと言えますね。

また趣味は野球で技術の研鑽に励んでいるけれど、音楽のロックについては全く興味のない人がいるとします。 テレビで野球の放送しながらロックの音楽が流れていたとしてもたいていの場合、その人の認識するのは野球の試合だけでしょう。

今度は逆に、音楽のロックを趣味としていて技術の研鑽に励んでいるけれど、野球については全く興味のない人がその同じテレビを見たらどうでしょうか。 野球の試合よりもバックミュージックで流れているロックを認識することのほうが多いはずです。

また、とある部屋に入った瞬間にホワイトボードだらけで壁一面は白い壁だったとします。 ホワイトボードを知っている私たちは 「この材質だったらなんか書けるかな」 と、ホワイトボードというものを認識できますけど、ホワイトボードそのものの存在がなかった時代の人がそれを見たとしても 「つるつるとした白い壁」 という認識になって 「見えない(認識できない)」 ことになるんじゃないかと思います。

私は趣味の1つであるスポーツ自転車のペダリングについて強い関心があるので、国道を颯爽と走るロードバイクの人のペダリングなどはついつい見てしまいます。

「なめらかな円運動…きれいなペダリングだなぁ…」 などと感心したり参考にしようとしますけども、スポーツ自転車がどんな乗り物なのかわからなかった時はどれだけ綺麗なペダリングをされていても 「見えてない」 状態だったんです。そのペダリングを認識すらしない。ただ 「速い自転車」 としか認識していませんでした。ペダリングに関して着目することもなく、自分にとって重要な情報だと認識していなかったのですね。

同じ情報でも自分にとって重要な情報かどうか、興味や関心のあるかないか、で受け取る情報の質や量も変わるんだな…と経験から思いました。

結果としてペダリングに意識を向けてみることもなかったのでスコトーマというものは常に生じていたのだと思います。(知る・知らないも含めて考えています)

このような感じで思い当たるスコトーマってありますか?

これらのことは f-MRI という機械を使った脳科学の分野で脳の仕組みの解明もされつつあり、RASというものの働きによって大きく関係するそうです。 ポイントとしてまとめてみます。

RASとは

過去の経験などによって自分には不要だと判断された情報を遮断する仕組みで情報のフィルター機能のこと。

Reticular
Activating
System

脳幹網様体賦活系という。

RASは脳の各部位を繋げて活性化する役目のネットワークシステム。 成人でエネルギーの20%は脳で使われるため、効率的に重要な情報だけを伝達するスパース・コーディングというシステムを経由する情報処理の門番みたいなもの。

とありました。

以前だと脳は10%ほどしか使われていないと言われていましたが最近のナノテクノロジーなどを使った研究では脳は1%くらいしか使っていないそうですね。脳が本気を出すと餓死してしまうとも…。しかしこの点については様々な情報があるのでなんとも言えなさそうです。

赤ちゃんの頃は体全体のエネルギーの60%ほどを脳で消費しているのだとか。 そう考えると成人で脳を100%使われた場合は 「どうなるんだろう?」 と素朴な疑問に少しワクワクしたりします。

そういったことからエネルギーを抑えるために五感を通して膨大に入ってくる情報を取捨選択する必要があって、 「最小限のエネルギーで重要な情報だけを伝達する=スパース・コーディング」 というシステムがあるそうです。 重要な情報以外は不必要な情報と判断されてそのシャットアウトされた情報はスコトーマとなります。

仮にスコトーマもなく、
「完全記憶能力」 (実在すれば)
によって全ての情報を記憶できるとしたら…。 朝、会社にいく途中で目にする車の色や車種、排気音、乗っている人の顔、服の色、顔、木々の色から種類、木の本数、お店の名前と場所、幾人も通り過ぎる人々の顔と服装など、スコトーマさえあれば不要な情報としてシャットアウトされる情報も全て記憶されていきます。

そんな状態を考えてみると、家で静かにしている状態でも主に視覚と聴覚は活動しているそうなので聞こえる音、その音階、距離、どんな質の音か、どういうことが起こっていると推測されるのか、なども理解できてふと目にしたミネラルウォーターのペットボトルの材質、形状の意味、生産過程、ラベルの文字のフォント、文字カラー、描かれているパッケージによる可視効果、などなどの情報がありとあらゆるものの情報のその全てにリンク(繋がって)しまうとのだとしたら…私だったら とても精神を保っていれそうもありません。

記憶情報だけでも膨大な量。
これに第六感的な情報までシャットアウトされずに入ってくることを考えると、このRASの機能やスコトーマの存在はありがたいものです。 このことを考えると餓死してしまうと言われていることにもうなづけそうだなと思います。

ポイント的にまとめると、

誰しも人間の脳に莫大な情報処理能力を持っている。

短期記憶の海馬と長期記憶の側頭葉の働きにより脳が100%稼働して力を最大限に発揮すると、膨大なエネルギーを消費して餓死すると言われている。

ゆえに普段から(常日頃から)RASと最小の力で済むスパース・コーディングというシステムによって脳の活動を正常に保っている

ということだとまとめてみました。

「RAS」 は膨大なエネルギーを消費させないように脳への情報の出入りを調整するフィルター的な機能を駆使して、重要な情報以外はシャットアウトしてくれるので物事に集中して取り組めたりします。

私たちは生まれながらに無意識的に情報に対して自動アクセスするか、しないか、また、脳へ 「入力(認識)」 するか 「遮断(認識すらしない)」 しないかという作業(スコトーマ)は行われています。

そのため、 「見えているけど見えていない」 という状態は常にあるそうです。 そして必要か不必要かを峻別された情報を基に 「思考」 によって様々な判断などを行っていくのですが 、「思考」 の前に 「情報が無い → シャットアウトされている」 ので 「思考」 として考えようとしても情報はないためにどれだけ考えても現在の情報内の範疇でしか答えは出せません。 違う答えを出そうにもその情報は 「見えてない(認識できてない)」からです。

アインシュタインの 「問題を起こした時の思考レベルでは、その問題は解決できない」 という名言に強い繋がりを感じます。

この脳に入力された情報を基に言語処理などを含めた大脳新皮質の各部によって 「思考」 という作業は行われます。

考え事をする時って
「言葉(言語)」 で考えませんか。私は 「言葉を使わずに考えて」 と言われると思考回路になんにも流れなくて無理でした(汗)
イメージ(映像)だけでも可能な方はおられるでしょうけどやはり多くの人は言語を使うと思います。 その思考によって 「自分自身」 をも認識しています。そもそもの情報がなければ自分への認識も変わらない。

愛の反対が無関心なら自分自身のいい所や素敵な所、ポジティブな方向に 「関心を向ける」 ことでスコトーマもコントロールできそうじゃないかと考えました。

また、RASに関係する脳の部位で両目のやや上部あたりの位置から脳の奥の中心部へ向かうと、その中心付近に左右で1つずつある偏桃核という神経核に 「情動(心・感情)」 の記憶の収められる偏桃体というものがあります。偏桃体の働きをざっくりまとめると、

偏桃体の働き

情動を伴う情報を記憶する海馬と連携して記憶固定の調節を司る。

この調節で偏桃体は刺激時の好き嫌い、安全、重要な情報かどうか?などを無意識下で瞬時に峻別して長期記憶へと移行させる。

そのためこの偏桃体は記憶の定着に大きく関係し、その時の感情の強さにより記憶される力は変化する。

刺激時の+や-の感情の強さでいずれも記憶に残りやすく情動的に関心のない情報は記憶に残りづらい。

という働きをします。

-(負)の感情においても記憶は強化されますが、これはパブロフの犬で有名な条件反射の本質――恐怖条件付け――に近い性質のものであり基本的には 「偏桃体が快い状態」 で記憶に残りやすいそうです。

スコトーマによる影響

ポイント的にまとめつつ、もう一度スコトーマの発生する原因について考えます。

・ 「この情報は重要」

・ 「この情報は重要ではない」

この2点が主たる原因。

「関心があるかないか」

それら以外のほかに、

・ そもそもの知識がない

・ 自分の信念や思い込み

・ 過去の強い固定観念

なども原因となります。
これを集約して考えられる影響は、

信念、価値観、先入観、態度、習慣などこれらに矛盾するものに対してスコトーマ(盲点)は発生し、 見る、聞く、知る、考える、ことなどが1つに集中してしまいスコトーマにより隠れやすい。

情報によって変わる変化や各視点からの柔軟な思考、自由な創造性などを阻害する狭義の概念を強化していく。

ということが考えられます。
例えば、

「どうして周りはバカばっかりなんだろう。この社会は本当の意味で人々の幸せを真剣に考えてなどいない。無駄で無意味なことだけに時間を浪費している。」

という信念、価値観、先入観、態度、習慣などをもっているとします。

そういった否定的な視座でとらえていると、よくないニュースなどを見た時に 「やっぱりな。」 とその信念などをますます強化していくことになって表に出ていない情報の中に明るい未来に対しての情報やそれらに対する取り組み、計画、立案などがあったとしても、スコトーマによって 「見えない(認識できない)」 場合は出てくることでしょう。結果として 「やっぱりこの社会はダメだ。」 という結論に至る傾向が強くなるのではないでしょうか。

逆に、

「どうして周りは素敵な人ばっかりなんだろう。この社会は本当の意味で人々の幸せについて真剣に考えている。有益で有意義なことだけに時間を費やしている。」

という信念、価値観、先入観、態度、習慣などをもっているとします。

そういった肯定的な視座でとらえていると、素敵なニュースなどを見て 「やっぱり!」 とその信念などをますます強化していくことになって表に出ていない情報の中には暗い未来に対しての情報はあったり、打算的な計画、その行い、一部の権力者による立案などがあったとしても、スコトーマによって 「見えない(認識できない)」 場合は出てくるかもしれません。

結果として 「やっぱりこの社会は素敵だ!」 という結論に至る確率は高くなるんじゃないでしょうか…。

かなり極端な例えですけどもスコトーマと確証バイアスには何らかの繋がりがあるのではないかと考えています。

これは本質的な部分として同様に、人に対しても同じようなことは当てはまりそうで 「この人は愚かな人で成長はしない」 という認識でいると、その人は本当は賢くて少しずつ成長していくための小さな努力などに取り組んでいても、それらに対してはスコトーマが発生して気づきにくくなるでしょう。

逆に 「この人は賢い人で日々成長している」 という認識でいると、本当は天然さんで成長しようと努力しているわけでなかったとしても、そんな情報などに対してはスコトーマは発生して気づきにくくなったり。 よろしくない所に気づいても 「さすが賢い人、意識せずとも成長しているのか」 となるかもしれません。

スコトーマの作用を悪用したとして、仮にネガティブな方向だけに注意を向けさせたり全ての人が自分の利益だけを考えて自分の都合のいい情報だけを見て、聞いて、知って、考えて、行動していくとしたら…。この世の中は混沌を極め、戦争や争いは絶えない社会となってしまうと本気で思います。

逆に多岐にわたる視点からの柔軟な思考をもち、自由な創造性を発揮して自分だけでなく全ての人にとっても幸せを与えられるような目的意識だとこのスコトーマは素敵な活用もできると思います。

諸刃の剣にも似た強力なツールであるかもしれないこのスコトーマを、極端に考えてみると使い方しだいで大きな力を得ることもできそうです。

スコトーマを理解することで隠れていた情報に出会うことができてそこから選択肢やチャンスなどにも認識できるようになれるといいですよね。

スコトーマを活用できると感じた部分はあるでしょうか?

スコトーマを抽象的に考察

私は幸せだという信念だと、幸せを感じられるもの以外に興味や関心、そこに自分の信念にはないのでスコトーマによって遮断される(認識されなくなる) ことから幸せは目の前に出現する。

私は幸せだという信念などによって周りの世界も形成されていく。

のではないかな、と思ったりしました。 かなり極端に意識と無意識の領域も含めて考えると、

・ 「幸福」 →1%の意識
・ 「不幸」 →99%の無意識
・ 「不幸」 → 1%の意識
・ 「幸福」 → 99%の無意識

もしかしたらこういうことで時と場合によってはスコトーマで交互に99%のほうはカットされているのかもなぁ、なんてことも考えたりもします。

「幸福」 だと意識していれば99%の無意識下で 「不幸」 はカットされる。

「不幸」 だと意識していれば99%の無意識下で 「幸福」 はカットされる。

というメカニズムが働いているのではないかと。

目の前の現実を作りだしているのは無意識であるとよく言われます。 ということはスコトーマをうまくコントロールしてその無意識の領域を変化(心から納得した変化)させると現実もそのようになるのではないかと期待しています。

これは 「不足」 に意識をするのではなく 「充足」 に意識を向ける 「自己充足的予言」 と言われる情報に繋がり、考え方として 「楽心目録」 でお伝えしている情報にも繋がるかもしれないと考えています。

この 「自己充足的予言」 は上と同様に 「今日はいい日になる」 と思ったり口に出したりすると 「今日はいい日になる以外」 に対するスコトーマは発生してよくない出来事は見えなくなる。(見えても気にならなくなる)

「今日はいい日になる」 に対してはスコトーマは発生していないので…、

結果、 「その日はいい日になる」

「心(無意識の領域)は現実をつくる」 と言われることはここに由来しているんじゃないかと思います。

ただ、この要素にはアファメーションと言われる分野に深い繋がりを感じていて 「心から納得できる認識か?」 ということこそ重要であると考えています。

心から納得していなければ表面でいくら 「思おう、思おう」 としていても 「そうではない、そうではない」 という認識を裏面で形成してしまうような気がして。

逆にスコトーマの危険性を極端に考えるとすれば、

  •                
  • 「Aが絶対」 という信念がある
  • 真実は 「A+B=D」 の 「D」
  • 実はBの情報も必要だった。
  • しかしBの情報は
  • スコトーマで隠れてしまい
  • A+A‘+A“…の事実が続いた
  • 「やっぱりAが絶対だ」 と認識
  • 「思った通りだ」 となっていく
  • 本当は必要なBの情報が
  • スコトーマで見えないまま
  • 徐々に確信へと繋がっていく
  • (確証バイアスという)
  • しかし結果は 「A」 ではなく、
  •                
  • 「A+B=」 の 「D」
  •                

「Aが絶対」 という信念の基、 結果として意図しなかった 「D」 になってしまった状態になると、思考と心(偏桃体に記憶されている情動記憶)は合致されなくなり不安や焦りなどの感情は生まれてしまうと言われています。

これを回避するためにはクリティカルシンキングが有効とされていて、スコトーマによって見えなくなったBの情報がもし見えていたら(認識できていたら)思考と心(情動)は納得し、それによって安定して結果である 「D」 の情報を受け止められるでしょう。

これはつまり幅広い価値観や信念、情報などを持っておいたりピンポイントで1つの信念(1の絶対)よりも、アバウトな方向(ヴィジョン)としての信念であればスコトーマで隠れる情報は少なくなると考えられます。

必要な情報がスコトーマによって隠れることなく、偏桃体も安定した状態で事実を受け止めていけるとすれば…心は楽で普遍的に幸せと呼ばれる生活は常日頃から続くんじゃないかと思います。

主観も含むコントロール法

ここからは心の状態をポジティブに保つこと(アファメーションなどの要素など)も大きく関係していると考えますので追って考察していく予定ですけども現時点で有効だと考える項目をまとめます。

  •                
  • 常にポジティブな状態を維持
  •                
  • コンフォートゾーンを広げる
  •                
  • 方向性としての信念をもつ
  •                
  • 心から納得する1歩を認める
  •                
常にポジティブ状態を維持

常にポジティブな心の状態…。
この部分こそ一番の問題であるような気がします…。

しかしひとまず喜び、楽しみ、嬉しさ、爽快さ、こういった気持ちになれる状況が必要だと書いてありました。 なぜなら偏桃体は情動記憶(心・感情の記憶)を担っていて過去の不快な感情に伴う情報(不快な気持ちとセットになった情報)が情動記憶にあった場合、類似する情報を新しく入手する 「その時」 に価値ある情報であったとしてもRASの働きによって正しく認識できないからです。

過去のネガティブな情動(不快な気持ち)と情報とが組み合わさった結果、概念だったり固定観念などが生じてしまって類似した新しい情報はプラスになるものであってもスコトーマによってシャットアウトされてしまいます。

逆に過去のポジティブな情動(愉快な気持ち)と情報とが組み合わさった結果、新しい概念だったり固定観念などが生まれるケースもあります。

(正の感情と負の感情による情動記憶は強化されるため)

その概念や固定観念によってスコトーマは発生していてもその人にとってプラスであるのならば問題ないと言えます。

偏桃体は常に心地のいい状態だとスコトーマによって各情報はシャットアウトされなくなるので、できるだけポジティブなことを意識したり 「よくよく考えて見ればラッキーであるかも」 といった認識を持つと効果的だと経験からもそう思います。 100%から考えるか、0%から考えるかの違いは大きいと体感しています。

心の状態を過去の概念や固定観念から広げてポジティブな情動を感じられる範囲を広げるためにコンフォートゾーンを広げていくのも有効です。(コンフォートゾーンに関しては下の項目に繋がります)

なぜ常にポジティブな状態を維持するとスコトーマのコントロールに繋がるのか?

それは、偏桃体に記憶される情動記憶(心・感情の記憶)と結びついているからだそうです。

私たちは物事を認識する際、

  •                
  • ・ 視覚
  •                
  • ・ 聴覚
  •                
  • ・ 嗅覚
  •                
  • ・ 触覚
  •                
  • ・ 味覚
  •                

この五感を通して受け取った情報を脳で処理しています。
(この五感に第六感の 「心覚」 というのも個人的に付け加えます。心覚は 「情動記憶」 にあたる部分だと捉えています。)

この情動記憶とその時に五感を通して受け取る情報の2つを脳は繋げて認識しているので、その時に受け取る情報が仮にプラスの情報だとしても過去に同じような情報で不快な感情を伴って受け取っていたとすれば偏桃体は満足した状態ではないので純粋な情報として受け取れないそうです。

  •                
  • 脳の受け取る新しい情報 「A」
  •                
  • 過去
    「A‘+心(不快な感情)」
  •                
  • 現在
    「A +心(通常の感情)」
  •                
  • 「A」 と 「A‘」 は類似のため
  •                
  • 情動記憶は「不快」 な情報
  •                
  • 新しい情報が認識されない
  •                

過去の不快な感情によってRASに関係する偏桃体は情報の入力をシャットアウトして「見えない(認識されない)」 となってしまう場合もあります。

不快な感情とセットになった 「A‘」 は過去にシャットアウトされました。 現在の新しい情報の 「A」 も類似する情報だったので同様にシャットアウト。もしその 「A」 を正しく受け取れていれば様々な経験を得てきた現在では有益な情報に変化していたのかもしれません。

例えば過去に知人Aさんから投資に関わるビジネス 「FX(AAA)」 (もし実在しているとしたら、それとは全く関係ありません)に誘われたとします。

知人Aさんはこちらの話に耳を傾けることもなく強引にセミナーへの参加を強制し、さらには訊いてもいないことを延々としゃべり続け、しまいには 「参加しないなら家に帰さない」 ←(法にひっかかります)なんて言われたことがあったら半年後に知人Bさんから同じ 「FX(AAA)」 を紹介されても、

「いらん!!」

ってなりません?

そのビジネスの内容やBさんのアプローチの是非はともかくとして現在では投資に回せる充分な資金もあり、仕事の関係から資産運用の道が開けつつあってもしかしたらその時の 「FX(AAA)」 はベストマッチだったかもしれません。 ちょっと極端ですけどこんな感じです。

「常にポジティブな状態でいること」 について今のところ有効な取り組みだと私なりに考えているのは、

  •                
  • 0から今の50を考える
  •                
  • 0ではないので充足に意識
  •                
  • 楽しい嬉しい、を発見していく
  •                
  • ポジティブな言葉を発声する
  •                
  • その時の感情を認識する
  •                

というものです。

体験としてかなり効果を感じているのは、

「ポジティブな言葉を発声する」
(実際に口に出す)

です。

できるだけ 「心を込める」 といいかもしれません。私の場合は 「ただ言っているだけ」 では心に何も感じないので、

「誰かに伝えたい」

という気持ちだったり、心を込めたり地声よりも裏声に近い発声法で口に出すと心にポジティブな 「なにか」 を感じます。

なぜなのかはわかりませんけど私の場合は強いささやき声(裏声)だとより強くなって心は元気になれる気がします。 裏声の発声システムは涙の流れる時の声の質に近いからでしょうか。

コンフォートゾーンの拡大

Comfort=
慰め,慰安,安楽,満足,など。

Zone=
地帯,地域,区域,規制区域など。

Comfort zone=
コンフォートゾーン

コンフォートゾーンというのは 「自然体でいれて、居心地のいい場所や状況などのこと」 と定義されています。

よく言われている 「なりたい自分になった」 と既に叶えている自分として行動することは周囲から得られる情報の質も変わり、慣れ親しんでいくのでコンフォートゾーンも広がると考えられます。

これまでだったら 「居心地よくないな」 と偏桃体は認識して周囲からうまく受け取れなかった情報も 「居心地いい」 と感じられるように、つまり慣れ親しんでいくと同じ情報でも “その時” 正しく受け取れやすくなるそうです。

なりたい自分に近づくために居心地をよくしたい場所や状況などはどんなものでしょうか?

方向性としての信念をもつ

ピンポイントで絶対的な1つの信念を持ち続けるよりもヴィジョンの方向性として信念などを形成する。

大切な信念やピンポイントの絶対的な1つの価値観を持っていても、新しく受け取る情報がプラスとなってスコトーマも発生しなければそれは本当に素敵なことで、幸福へと順調に進んでいるのでしたらそれでいいと思います。その信念がその人にとってベストな想いだったら尚素敵だと思います。 もしそうでないならざっくりと方向性を見据えてみるのも楽かもしれません。ベクトルでしょうか…。

これは輝いてる人や成功している人やパフォーマンスの高い人たちの、

・ ヴィジョン

・ 目標

・ 結果

・ ゴール

へのイメージに誘導されていると言われていることに繋がりそうです。 この方向性を人生を地図に置き換えると、

  •                
  • ヴィジョン=地図上の方向
  •                
  • 目標=地図上の目標地点
  •                
  • 結果=目標地点の獲得物
  •                
  • ゴール=達成感など
  •                

目標や結果、ゴールも大切ですけどこの例え上ではピンポイントで設定するより 「方向性」 のほうだと楽に幸せに進めるような気がしています。

人生の地図上で目的地への方向さえあっていれば方向の途中でお茶屋さんに寄り道しても、だんご屋さんでくつろいだとしても、方向は見失わないでしょうし時には立ち止まり羽を休めることもとても必要なことだと思います。

目的地は温泉だとしたら途中で秘境の温泉も発見できるかもしれません。目的地以上のものは進みたい方向の中にあった、という話もたくさんあります。 辿り着きたい目的地はここではなかったけど 「こんな素敵な場所があったんだ」 といったような嬉しい発見があるかも。 失敗は成功のもとのもう1つの側面を垣間見ることができるような。

ただ、大切なのは 「なぜその方向に進みたいのか?」 という信念への問いでしょうか。

「どうしてその目的地の方向に進んでいるの?」

この理由に自分だけの幸せを願う動機でなければ…
心の羅針盤は応援してくれるんじゃないかな、なんて自分自身の経験からそう思います。

心から納得する1歩の認容

これは偏桃体が情動記憶を担っているので、過去の不快な感情に伴う情報(不快な気持ちとセットになった情報)を例えその時に価値ある情報であってもRASの働きによって正しく認識できないからです。

その偏桃体を心地いい状態に保つためには行動や言葉や現状の認識を 「心地いいもの」 として1つ1つ心から納得していくと、偏桃体はリラックスしてくれると考えます。

こうして全体としての心の状態をリラックスさせることでRASによる情報のシャットアウトを減らして、その時その時に入力される新しい情報を正しく認識するようにできるだけコントロールすることで、より良い結果が期待できそうです。

スコトーマのまとめ

人は、

  •                
  • 自分の信念や価値観、先入観、
  •                
  • 態度、習慣、思い込み、
  •                
  • セルフイメージ、自己認識
  •                

これらとイコールになった情報を自分の脳にとって重要なものとしてインプットし、そうでないものはスコトーマによってシャットアウトします。

言い換えればスコトーマによって隠れた情報は見えていないということです。 見えている情報を基に現実は認識されていき、現在から未来への道もそうして整えられていくのだと学びました。

「この情報は重要」

「この情報は重要ではない」

これらを判断しているのは自分の認識の部分。もしかしたら無意識の領域で瞬時に判断しているのかもしれないし、意識の領域かもしれない。

潜在意識(無意識)の領域は無限の可能性を秘めていると言われます。 この可能性を引き出すためにはクリティカルシンキングやポジティブ感情、方向性などでスコトーマ(&RAS)を適切に作用(コントロール)していくことで、より自分の可能性を発見しやすくなるんじゃないかと思います。 もしも同時に表と裏の情報の神秘性などに触れることができたら…素敵です。

・ 現在から未来への情報へ

・ そして未来へのヴィジョンを

・ ピンポイントよりも方向性を

スコトーマによって隠れて見えなくなってしまう自分にとって重要な情報は

「見えていない → “0”側」

にあるのかもしれないなぁ、なんて。 そんな隠れた情報をたくさん見つけるためには、

  •                
  • 嬉しい
  •                
  • 楽しい
  •                
  • クリアな気持ち
  •                

といった心の状態のほうが良くて価値観、先入観、態度、習慣、思い込み、セルフイメージ、あるいは自己認識などを 「ピンポイントで1つ」 に絞るよりも 「こんな方向性」 とヴィジョンに沿うようにするとスコトーマによって隠れてしまいがちな 「本当は必要だった情報」 などは見えやすくなるんじゃないでしょうか。そんな気がします。

その方向性さえブレなければ自分の能力や潜在的な可能性に対して逆の情報などが集まったとしても、また仮にスコトーマによる遮断が起きても、方向性の範囲の中であれば多少の誤差は許されるんじゃないかな。

趣味のビリヤードで考えると…
ポケットの穴の幅は大きければ大きいほど 「誤差は許される」 というニュアンスです。

的の中心円が大きれば大きいほど誤差は許されます。そもそも完璧な人なんていません。どれだけ誤差の範囲を狭めていくか、だと思います。

そうして進んでいく方向の範囲をキープしつつ誤差を減らして情報の質を変えると方向性に沿った行動はできて、それは結果となって身の周りの世界を少しずつでも変えていけると思います。

スコトーマは常に私たちの中(脳)にあり、その原理的に作用する力(良い面とそうでない面も両方)を活用することで、ヴィジョンという方向性通りの未来と現実世界を目の前に展開してくれる能力かもしれないという点に感謝です。

なんとなく最後に

1枚のコイン。
表もあれば裏もあって。
表裏一体。

1枚のコインであることは確かなのに表と裏の2つの情報は同時に存在している。境界線とやらを限りなく0まで突き詰めて考えると、

それは 「有る」 のでしょうか。
「無い」 のでしょうか。

「表の答え」
を探せば裏の情報は隠れ、

「裏の答え」
を探せば表の情報は隠れるのかな。

一方からの認識が強ければ強いほどその光の量は裏の影をさらに濃くしてしまうのでしょうか。

明るい青空の光は空気や水蒸気、塵、小さな粒(分子)に太陽の光が大気圏内で当たって光が様々な方向に散乱されるから。

今こうして目の前の物を見ることもできるのも物体などに当たった光が反射して目に届くから。

だけど宇宙空間にはほとんど何もない真空の状態。真空では反射する物はなくて光は通り過ぎていく。 戻ってこないので光のない宇宙空間は闇。

闇の中に光は存在していても反射するものがなければ光を認識できなくて。

「存在しているのに、見えない」

聖書にある 「光あれ」 「すると光はあった」 という記述の意味するところは、光はそもそもあったけれど光を反射する存在もなくて闇にしか見えず、 「光あれ」 という散りばめられた情報(神様の情報)によって光を反射して 「光があった」 のでしょうか。

もしかすると私たちの周りには気づいていないだけで光の情報はあるのかもしれません。もし 「無=”0“」 の中にある光を反射する情報があるのだとしたら、それはきっと見えていない心の中にあるのでしょうね。

――ギリシャ神話――
「幸せになる秘訣は人間の心の奥に隠すのが一番いい」

――神様の空洞――
「人の心の中には神にしか満たされない空洞がある」

「闇=“0”」 の中でただ見えてないだけで、情報たちは存在する光を反射するために散りばめられた粒子なのかもしれないな、なんて考えると今ここにいることに神秘性を感じます。

心の中の情報を言葉に変換すると小さな情報たちは “0”の中で光の塵として舞い踊るなら、できるだけ素敵に照らされる情報を放ちたいです。

空を見上げればいつでも星たちは空にあるけれど、朝の光に透けてしまって ”ある” のに見えないから。

「光透目録」 として。

0の中の光に出逢えますように
とあるココロの光透目録でした